邂逅 [短編小説]


 僕たちは、まばゆい光の中にいた。
 君は僕を見つめると、そっと瞳を閉じて、次の邂逅を待つ。
 僕は、君の身体をしっかりと抱きしめたまま、離れないように力を加えた。
 僕たちの宇宙は重力を失って、上下左右の感覚がなくなる。
 僕らはいっそう深く結びつく。二度とはなれないように、強く、強く…。
 ふと、君の瞳がひらくと、君は笑みを浮かべた。
 もう、ずっと一緒ね…。
 君のささやきとともに、急速に上昇していた僕らの放物線は、
 ゆっくりと頂点に到達しようとしていた…。



 僕は、君と出会うまでの数年間、ともに暮らす彼女がいた。僕と彼女は、何年も絵を描いて暮らしていた。高校を出て、少しだけ絵の学校に行ったが、彼女は世間に迎合することを好まず、学校にはすぐに行かなくなった。
 それからというもの、僕と彼女は、勝手気ままに絵を描いてはコンテストに出展していた。いつか、世の中が自分たちの「芸術」を認めることを信じて、最低限の暮らしの中で、僕と彼女は、まるで戦場で闘う兵士ように暮らしていた。
 彼女はよく、世間に牙をむけた。感性の鈍った凡庸な人々には、自分の芸術は理解できないんだと、そして、理解など必要ないと、世間を罵倒し続けた。
 それが彼女の強がりであったとしても、その厭世観が彼女の原動力だった。そして僕も、どこかで彼女の言葉に同調していた。

 永遠に続くかと思った、僕と彼女の闘いの日々は、あっけなく終わった。
 僕の描いた絵が、入賞した。

 僕らの暮らしは、急速に変化していった。
 彼女の戦いの剣先は、僕に変わっていた。

 僕の絵は貨幣に変わり、彼女の絵は「芸術」のままだった。僕は職業画家となったが、彼女は「兵士」のままだった。僕らは時間も意識も、すれ違うようになっていった。

 疲れ果てた僕の前に現れたのが、君だった。



 …放物線は頂点を過ぎ、余韻を残しながら、落ちていく。
 次第に加速しながら、無限の底をめがけて落ちていく。
 君は僕の身体にしがみついたまま、終わらない浮遊感に耐えた。
 僕は君の身体が離れないように、よりいっそう力を込めて君を支えている。
 ゆっくりと僕の背中を、君の指が撫でる。肩の丘陵を越えて、首まで。
 ゆっくりと、確かめるように、なぞる。
 僕の指は反対に、君の背中から下のほうへ降りていく。
 ふたつの丘陵の間を抜けて、その奥まで。
 ゆっくりと潜る…。



 芸術という理念を掲げて戦う兵士のような彼女とは対照的に、君は、なんのてらいもなく、身の回りにある物を褒めていた。「ステキ」…彼女には絶対に言えない言葉だった。今にして思えば、素敵だと思ったことを「ステキ」ということなんて、普通であたりまえのことだが、牙を剥くことが「感性」だと思っていたあの頃の僕に、君の言葉は新鮮だった。

 君は、僕の心を捕らえて、放さなかった。

 彼女と暮らしたアパートは、僕と彼女の住居であり、アトリエだった。絵を描くために、そこに戻ると、失望しきった「芸術家」がぶつけようのない苛立ちを全て、僕にぶつけてきた。数年間、ともに闘ってきた僕は、彼女の戦友であり続けようとした。彼女の苛立ちは、全部僕が引き受けようと思った。彼女の精神のバランスを、ぎりぎりのところで保っていられるのは、僕という存在ではないかと思った。僕は、そのアンバランスを君の存在で補った。
 普段は、君のところへ行く。君は言い知れぬ不安をかき消すように、幾度となく僕を求めた。明日、二人の関係は終わってしまう、そんな顔で僕を見た。君の大きな瞳は、いつも不安で濡れていた。僕は君のそんな不安を、まるで関係ない、と笑い飛ばしていた。だけど、絵を描くときだけ、彼女のもとに帰る。彼女は、苛立ちを全て僕にぶつける。僕を罵倒し続ける。そんな日々が続いた。
その間に、僕の絵は、僕の手元を離れてどんどん歩いていってしまった。僕が描きたいと思うのではなく、世間に求められるまま、意思のない絵を描き続けた。

 そんな僕を、君は「ステキ」といって賞賛し、彼女は「偽善者」といって罵倒した。

 どんなに僕を罵倒し、荒れ狂い、部屋をかき乱していても、僕の描いた絵には、傷ひとつつけなかった。彼女は、気位の高い芸術家だった。

 ある日、彼女は部屋を出た。

 何も変わっていない部屋から、彼女の姿と、画材だけがなくなっていた。

 彼女が僕に残したメッセージは、真っ二つに折られた僕の絵筆だけだった。

 僕は、彼女を追わなかった。それでも、折れた筆を見て、彼女の指先に血がにじんでいるのではないかと、心配した。だけど彼女は、僕を必要としなくなったんだ。僕らは、次の一歩を踏み出しただけなんだ。僕は、自分に言い聞かせた。



 …君は、二度目の頂点を求める。僕も、極小値を越えて上昇のカーブにさしかかってきた。
 怠惰な快感の泉から、飛び出すように激しく、君の身体が跳ねる。
 飛魚のような君の身体が、僕の胸を飛び出て行かないように、
 僕は君の手をとると、指を絡めた。
 君の柔らかな感触が、僕の熱い思いを受け止める。
 汗が、吐息が、激しさを増す。
 君の中で、僕の激情は休むことを忘れて暴れ続ける。
 君は、苦痛に耐えるような表情と声で、更なる深みを求めている。
 君の口もとから、泣くような刹那の音がもれる。
 水の底へ沈むような体感と、宇宙の果てまで飛びそうな意識。
 急激な上昇。僕らの放物線が、二度目の頂点を越えた…。
 

          …Fin.


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