ちょうちょ [短編小説]
郊外のショッピングモールの中は、連れ立った主婦たちで賑やかだ。
幼稚園に通う子供を送り出してから、夕食の支度に忙しい夕暮れまで。それが私たちの特別な時間だ。
女たちが集まってする話と言えば、せいぜい夫への愚痴か、誰かの噂話。どちらにしても退屈な時間だ。
私はそんな主婦の群れを、少し顎を上げて通り抜ける。
今日は久し振りのデートだ。
夫にばれないように、上手な言い訳を用意して外出する。
私たちは月に2回ほど、こうしてデートをしている。
胸がきゅんとするような衝動は、久し振りだった。
彼のために、何かしてあげたい。
彼を喜ばせてあげたい。
日常、目に触れるもの全てに、彼は何を感じるだろうと思う。瑣末な日常は私の中を通り抜けていく。
そして、彼を思うことだけで、日々に輝きが増していた。私自身も、輝きを取り戻したかった。
「髪、染めたの?似合うね」
待ち合わせに現れた彼は、自然にそんな褒め言葉を口にする。夫は、髪を切っても気付いてくれない。
「今日はずいぶん綺麗だね、かわいいよ」
そう言いながら、ごく自然に彼の指が私の指を絡めとる。
ファッション誌で見つけ、どうしても欲しかったふんわりとしたフェミニンなスカート、ピンヒールのサンダル。
やっぱり彼は気付いてくれた。
自由業らしい、彼の服装に、今日の私は似合っているだろう。普通の恋人同士に見えるだろう。
彼との逢瀬を繰り返すたびに私は、彼が私の一部になったような愛おしさを感じる。
そして、彼にもっともっと私との時間を欲しがってもらいたい、と願っている。だから、綺麗な私をもっと見つめて欲しい。
今日はネイルもしてきた。思いきってサロンで仕上げた私の手足の爪たちには、蝶が舞っている。
彼は、ベッドに腰掛けて煙草に火を点けた。大きく吐き出す白い煙が、彼の肩越しの綺麗な筋肉の隆起したラインで揺れている。こめかみから顎に抜ける絶妙なカーブで揺れている。
私は、彼のこの無防備な後姿が大好きだ。…また、彼が欲しくなる。
「ねぇ、次はいつ逢えるの?」
おもむろに携帯を覗いた彼に、言葉を投げる。
「そうだね…、少し忙しくなるんだ。僕から連絡する」
彼は、携帯に落とした視線をはずさずに、優しい口調で答えた。
彼から、出会った頃の情熱が消えていく…、そんな気がした。キャミソールのレースの花柄模様が、私の素足の白に映える。
~ねぇ、もう一度、私を見て~
願いを込めて、彼の長いまつ毛と、その下に光る瞳を、斜め後ろから見ていた。
私の願いは、彼には届かなかった。
ショッピングモールに戻ると、私たちの逢瀬も終わる。無理をして履いてきたサンダルの、つま先のワイヤーが、私のつま先をちぎろうとしている。痛みを堪えて、彼の横を歩く。華奢な靴は、こんな郊外のショッピングモールには似合わない。
痛みを堪え、言葉少なに歩いていると、音楽が聞こえてきた。
♫ヒール高い靴を履いて
あなたの隣、シャナリシャナリ
ペディキュアのちょうちょ
見えるかしら…
彼は、私の服装には気付いてくれたけど、つま先に舞う蝶までは気付いてくれなかった。次に逢うときは、どこまで気付いてくれるのだろう。
ショッピングモールの入口にあるアーチを抜けると、退屈な日常が目の前にあった。
家に戻れば、全てが終わる。そして、また日常がはじまる。
つま先の蝶たちも、リムーバーできれいに流される。
…Fin.
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